今の日本国の政治は間違っている。公式見解では食糧自給率は30%前後としている。だが事実は食糧受給率は20%を切ってしまっている。新潟、山形、秋田などが米の産地として有名だが雪深いとろろで野菜や果樹が冬場は、取れないので米産地となっているである。本来のコメの産地は瀬戸内海をのぞめる地域で二期作・一年に2回米がとれるのです。更に瀬戸内海以北で積雪しない地域は二毛作・米と麦栽培をしていた昭和の時代の後半までは農業大国でした。昭和45年頃までは農繫休暇(農繫休業)ありました。
田植の時期(6月ごろ)と稲刈の時期(9月下旬)の一週間程度学校が休みになりました。子供達が田植に、稲刈の手伝いをしました。耕地の人達総出で作業をしました。
その頃から産業大国と社会科の時間に先生が教えていました。高度経済成長期第二次産業の目覚ましい発展したという人が多いが、反面、若者は工場に、事務にと、田舎を捨て都会に出て行った。全国の若者が集団就職で東京に状況があった。その若者達の出会いの場として「勤労青少年ホーム」や「青年の家」なる国の施設ができたのです。「オクラホマミキサーやジェンカ」フォークダンスがあちこちの空き地や行楽地で踊られて賑やでした。ここ長瀞も新聞社主催の日本さくら100選に選ばれ、桜のトンネルが有名となったので多くの観光客がたくさん訪れたのである。更に、秩父鉄道に国鉄の列車や東武東上線が長瀞行きの列車が乗入、この時期には長瀞駅に臨時改札があったほど乗降客いたのでした。今は昔話です。
長瀞の特産品は「おんじゃくいし」の「細工品でした。」長瀞は今も昔も変わりませんが冬季には何もない時期で観光客が無く観光商店街は閑散として商売をしないので、ロウセキ細工職人も収入がないので熱海などの年間観光客のいる観光地へと販売が始まってしまい「ここだけ、ここの」という商品が流失し「ロウセキ細工職人」も今はいなくなってしまいました。残念のことです。長瀞町はロウセキの豊富なところでロウセキ採掘が盛んでした。ロウセキは海外ではタルクといいます。タルク工場が建ち始め、タルクは「化粧品からうどん」まで白色にする着色料としても欠かせないものとなっています。今、タルクの原料は中国です。船で中国に工場の材料を輸出し帰りにはロウセキや御影石を満載持ち帰るとなっています新潟にもタルク工場林立している。これによりタルク掘削事業者は廃業してしまった。
更に、不思議なのは「昭和天皇陛下」が昭和39年に上長瀞の埼玉県立自然の博物館にお越しになった時に、近くの荒川側に天皇陛下が「長瀞を眺望した東屋」がありましたが、昭和40年代に台風で流れてしまった。それを復元しない、観光資源としての施設を復元しない。なぜなら「長瀞町駅から船着き場、岩だたみ」観光のメインがこの区間で、観光商店街にはメリットが無いことで何もしないのである。
また、「御成橋通り」が一番残念です。大正11年6月25日に大正天皇第二子第2子の淳宮雍仁様が成人の20歳なった時の、大正11年6月25日大正天皇に秩父宮の宮号賜り秩父宮様として宮家となった。ことであった。同年11月26日から11月30日まで秩父地域を視察された。この時に帰りの皇族専用列車を落合商店の前に止めてタップから降りて「稲荷橋通り」(この頃は、この通りが長瀞のメイン通りであった。)を橋から長瀞岩だたみをご覧になされたと聞いている。その日から「稲荷橋通り」が「御成橋通り」となったのである。
お歩きになり御成橋までお越しになり岩たたみを見学していただいた通りです観光地の目玉がないというが、この橋は秩父宮様用鉄骨の橋に作りかえてものです。役場の管理でなと通行止めになりもう10年も経っている欄干が錆で危険ということで、役場で通行止めにしている。道路台帳にこの御成橋が抜けているのでという事で修理できないままである。
実態はここを通られて帰られると客が店によらないから商店街は協力しないのである。秩父宮殿下がなぜ岩だたみ通り(旧銀座通り)でなく御成橋通りを歩いたかは今のように見晴さんが見晴亭という旅館で、船着き場に行く道が無かった(今も、階段部分は見晴さんの敷地です)からである。自分のことだけ田舎根性ではそんなに遠い未来ではなく八ヶ岳の清里のようになる。清里の観光協会長だった方の店に偶然寄り、お話してアドバイスしてから3年どうなったかは皆様の知るところです。見晴さんの所の階段は台風で破損したのを役場で修復したのだから、早急に御成橋を修復しないことは残念なことです。
平成29年9月1日に岡山県の「奇跡のバナナ」の田中節三様の農園に伺いました。平成15年にインドネシアとシンガポールに研修で行き、バスの窓から見て大きな農園バナナ畑見えただけで詳細を確認した訳ではありませんでした。田中先生の農園にはタワワに実ったバナナを見学し「バナナの花」を初めて見ました。秩父でバナナができれば特産品になれる。バナナ年12回以上収穫ができる。
秩父広域市町村圏組合のゴミ焼却場の「発電後のお湯」を使えれば確実にバナナが育つ、奇跡のバナナはそこまで来ている。また、し尿処理場の予熱や下水処理場の予熱でも農業用ハウスができれば確実に特産品となる、オーガニック食の安全なバナナやパパイヤができる。その後、下水処理場に伺ったらば「今は硬化剤で処理するので熱は出ない」と言われた。
ここに載せると、先を越される可能性が高いのでここまでとする
秩父市で「メープルシロップ」まちおこしをしているので、長瀞も参加するよう昨年苗を植え付けした。
秩父ソウルフード「味噌ポテト」ポテクマ君なるユリキュアのアスコットまである。
今さらユリキャラも無いだろうと宝登山神社宮司が2年前に言っていたが町長はこれからだと言っている。